天皇、皇后両陛下は慣例で葬儀に参加せず 三笠宮妃百合子さま逝去

三笠宮妃百合子(ゆりこ)さまが15日午前6時32分、老衰のため入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。明治以降の皇室で最も長寿だった。宮内庁は本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」を26日午前10時から、豊島岡墓地(文京区)で執り行うと発表した。百合子さまが亡くなったことで、皇室の構成は16人となった。

宮内庁によると、喪主は孫の彬子さま(42)が務める。納棺にあたる「お舟入(ふないり)」は16日午後5時から、赤坂御用地(東京都港区)の三笠宮邸である。宮邸内の「正寝(せいしん)」と呼ばれる部屋にひつぎを安置し、24、25日に通夜が執り行われる。26日に火葬し、豊島岡墓地内の三笠宮さまと同じ墓に埋葬される。慣例で天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻は斂葬の儀などには参列せず、使者を送るという。

宮内庁は15日午前11時からの記者会見で、百合子さまが亡くなるまでの経過を説明した。百合子さまは3月3日に脳梗塞(こうそく)と誤えん性肺炎、心不全のため聖路加国際病院に入院した。8月16日~9月9日は集中治療室に入った。一般病室に戻ってからは、毎日30分から1時間ほど、ベッドから車椅子に移ったり、マッサージを受けたりするリハビリを先週まで続けていた。

最近は病室で眠っていることが多かったが、声がけには目を開いてうなずく状態が続いていた。7日の検査で心臓や腎臓など全身の機能低下が判明。今週に入ってからは声がけに反応する時間が減った。15日早朝から血圧が低下し、午前6時32分に亡くなった。おだやかな最期だったという。

百合子さまは高木正得(まさなり)子爵夫妻の次女として、1923(大正12)年6月4日に生まれた。女子学習院本科を卒業した41(昭和16)年に三笠宮さまと結婚した。3男2女をもうけたが、長男寛仁(ともひと)さまと次男桂宮さま、三男高円宮さまは先立っている。長女甯子(やすこ)さん(80)は日本赤十字社社長を務めた近衛忠煇さん(85)と、次女容子(まさこ)さん(73)は、茶道裏千家第十六代家元の千宗室さん(68)と結婚した。孫では寛仁さまの長女彬子さま、次女瑶子さま(41)、高円宮家の長女承子さま(38)の3人が皇族として活動している。

百合子さまは、古代オリエント史の研究を続けた三笠宮さまを支えたほか、日本赤十字社名誉副総裁などを務めた。

政府は百合子さまの葬儀の費用を国費でまかなうことを15日の閣議で了解した。【高島博之、山田奈緒】

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